2006年度教会聖句
「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。」 ローマの信徒への手紙12章11節
10 6513
旧約聖書説教
創世記28章10節〜22節 題 【逆転は天の門だ】

 私達の現在に実に様々な問題が渦巻いていますが、そのほとんどは掘り下げて行くと、“人間”の問題であり、人間の問題の大半は“家庭”であり“男と女”の問題に帰着します。私達人間の祝福の基である、アブラハム、イサク、ヤコブの神天地創造の神、に選ばれた家族はユダヤ人の先祖の源なるヤコブ一族です。ヤコブ自身の問題解決を神はどのようになされたのかを学びましょう。
 世の中は、喜びと悲しみとの入り混じったようなものですが、喜びに輝いていたアブラハム家は、またもや悲しみの雲に閉ざされる時が来ました。アブラハムは、175歳の寿命をもって世を去りました。立派な跡継ぎ息子を待っている事ですから、神さまの大いなるご恩に感謝しながら、天の御国を臨んで召されました。親孝行のイサクとリベカの悲しみはどんなでしたでしょう。その後のこと、リベカのお腹が大きくなりました。イサクは神に祈って与えられたので、喜びの中で赤ん坊の誕生を楽しんでおりました。ところが、お腹が人並みすぐれて大きく、そればかりか、時々、中で騒ぐので、心配になりました。ところが、神さまの仰せられるに「二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる」との事。「それで大きい訳だ」と分かりましたが、いよいよお産になると、先に生まれたのは、赤い体に毛もじゃらで、次に出たのは普通の赤ん坊でしたが、先の子のかかとを掴んでいます。そこで兄さんの方をエサウ(毛皮の衣のようだ)弟の方をヤコブ(掴む人)と名付けました。
 二人はだんだん大きく成長し、性格は、エサウは猟が上手で野山を駆け巡り、イサクに鹿の肉を良く持ってきておりましたから父イサクに愛されました。ヤコブは大人しくいつも天幕の中におり、母リベカに愛されました。イサクは歳をとり、視力が衰えていたので、死ぬ前にエサウが野原で取ってくる獲物を食べてエサウを祝福してやろうとします。それを知ったリベカは、イサクを騙してヤコブを祝福させたいと思い、近くに飼っているやぎをヤコブに持ってこさせ、エサウが帰ってくる前にそれを料理してイサクの所へ持って行かせ、食べさせました。こうして、母親の偏愛が、一家の悲劇を引き起こす元になります。
 この事を知ったエサウはヤコブを恨み、ヤコブを殺そうとします。それで、ヤコブの旅の発端は、母リベカがヤコブを兄エサウの手から逃れさせようと考えた事です。母リベカの親族の住むハランへ、だまし取った家長としての祝福を旨に、自分の受けるべき土地、財産を後にして自ら招いた追放の寂しい旅に出かけました。これには、リベカの故郷で、ヤコブに妻を迎えさせたいというイサクとリベカの親心もありました。

 今日の主題聖句は、28章14節〜15節
 「地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。
 あなたが何処へ行っても、私はあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。私はあなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
与えられた聖書箇所の主題は、”逆転は天の門だ!”と名付けました。
 12節:すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも神の御使いたちがそれを上がったり下がったりしていた。

<<神は孤独なものと共に居て下さる事を知ろう!>>
 北へ北へと母さんの実家、ハランを目指して急ぎます。がどんなにかこの事に苦しめられたか伺える。早やその日も暮れて、太陽は美しい色彩を夕焼けに残して、西の山に沈みましたが、そこは何という所やらさっぱり分かりません、家もなければ人もおらず、ただ荒れたる野原です。「やれ、困ったな。家では夕飯の時間だ。家ではどうしているだろう」と独り言しながら、つくづく色々な事を考えました。兄さんを押し除けようとした事、それが為にお父さんを騙した事、兄さんを怒らしたり、泣かしたりした事、その結果この通りだ。という思いや今度は母リベカの深い愛が胸に迫ってくる。「母はヤコブに言った。<<我が子よ。あなたの呪いは私が受けます。>>」歳相成る母と…この事件の結果は最愛なる母リベカとの生き別れとなったこと。盲目の母性愛の中に愛情豊かに育まれたはずです、エサウ兄さんとは違っていつも父と母の懐にいたヤコブの一夜は生まれて初めて両親の元からこんな寂しい所に、ひもじい思いをしながら、ああ、悪かった…と涙を流しながら悔やんで泣いて泣いて泣き疲れて、いつしかうとうとと眠ってしまいました。恐れと罪悪感そして孤独感。ヤコブの人生の逆境の瞬間が来るのです!

 12節:すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、 しかも神の御使いたちがそれを上がったり下がったりしていた。

このはしごは天から地に向けて立てられていたとあります。地から天に向けて立てられていたのではありません。これは非常に大切な意味を持っています。バベルの塔の物語では、人間が自力で天に届く塔を建てようとした時ですが、神は「ことば」を混乱させました。人間の野望を砕きました。ところが、この箇所では、ヤコブが罪を悔い改めたというような事は、一言も述べられてはいません。ヤコブが夢の中で、神の使いたちが地に向かって立てられているはしごを、上り下りしているのを見た時に、そのはしごの先に神様が直接おられるのを見ました。神様が天から降りてきてヤコブに語りかけ、祝福と約束のことばを告げるのです。神様は、一晩中孤独の中ヤコブと共にいて下さったのです。これこそ逆境は天の門なのだ!ヤコブは野宿でのこの夢に神の御使いが、天と地をつなぐはしごを上り下りするのを見た。これによってヤコブは天上の「問題は地上の問題」、「地上の問題は天上の問題」、である事を知った事。御心が天で行われるごとく地にも成らせたまえや!ヤコブは兄に対して犯した罪は結局神に対して犯したものである事を知ったのです。
 このような夢を通してヤコブは大きな慰めを得ました。神は夢を通してヤコブに神の摂理の中で天と土地の間には絶ええる事のない交わりが成立しているということを悟らされました。この世で起こるあらゆる事件やもろもろの現象は全ての神の知る所であり、揺らがぬ神ご自身の介入により、ヤコブは体験する。神は孤独な者と共に居てくださる事を知ったのです!

 天門教会の名前の由来はこの聖書箇所から来ていると思います。〔ここは!天の門だ!〕天門教会の使命は、東京からリバイバル!天門教会からリバイバル!を掲げて、神様がヤコブの横たわるその場所に天より、はしごを掛けて下さったように、天門教会の祈りが天使が上り降りする所として、ここは天の門だ!名前の由来が有るのではなかろうかと、思わされます。はしごの頂点にて、全人類の仲介者である主イエス様がその祈りを神様に執り成して下さるのです。実に〔逆境は天の門〕なのです。

 ホームページを開いてくださって、心からありがとうございます。そして、あなたを歓迎いたします。あなたを愛する主イエス様によって幸福な生涯となられます事を主イエスキリストの御名によって宣言いたします。天門教会へお立ち寄り下さい。天門教会ではあなたをお待ちいたしております。


ページトップ